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太田昌克の経歴と出身校!家族や年収は?報道ステーションコメンテーター就任

太田昌克の顔の画像エンタメ

2020年3月13日、報道ステーションの後藤謙次さん降板が発表され、後任は共同通信社の太田昌克さん(月、木)担当コメンテーターとして公表され世間の注目を集めています。今回は、太田昌克の経歴や出身校そして家族や年収についてまとめました。

太田昌克の経歴と出身校!

 

現在の日本で最も核問題に詳しい記者の一人といわれている太田昌克さんの経歴についてみていきたいと思います。

1968年富山県生まれ

1987年富山県立礪波高校卒業。

早稲田大学政治経済学部卒業。

 

大学時代に入っていたサークルはテニスやヨット、スキーのサークル。いつジャーナリストになろうと思ったか、はっきりと覚えていないようですが、信頼する大学の先輩の助言が大きかったそう。

大学は1年留年しており、自分にジャーナリストの仕事ができるのかまず海外に行って、自分を試してみるため留年して海外に出たそうです。よって5年在学。

最初に行ったのはカナダ。留学できるほどの英語力もなく、親に負担をかけたくなかったので5万円だけ財布に入れて、しかも片道切符でカナダに渡りました。

ワーキング・ホリデービザが取れたからだそうです。

その頃の太田昌克は治安面で「米国は怖い」という印象を持っていたからだそうです。

カナダでは、ゴルフ場でクラブを磨いたり、農場で日雇いの仕事をしたりしてお金を稼いで生活をし、カナダと米国で過ごしたのは合計9か月ぐらいだそうです。

 

1992年共同通信社入社

 

太田昌克さん記者になった時は原爆問題に特段の思い入れがあったわけではないようで、核の報道にのめり込んだきっかけは、初任地の広島で担当した被爆者取材。

太田昌克さん当時の取材シーンについて以下の様に記されていました。

広島の隣県に、理髪店を営む被爆者の男性を訪ねた。胎内被爆した娘は既に50歳近かったが、重い知的障害があった。男性は仕事の合間、娘に食事をさじで一口一口運んでいた。取材を終えて帰ろうとした時、男性はつぶやいた。「わしゃあどげなってもいいんじゃけど、この子はどげんしてくれるんじゃ」

「しわがれた声が今も耳に残っている」「核の被害は落ちて終わりではない。それから後がまた深刻なのだ」と思い知った

引用:https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532627/

政治部やワシントン支局などで核政策を含めた安全保障や国際政治の取材をしてきた。

2003年から2007年まで、同社ワシントン特派員として、国務省、ホワイトハウス、連邦議会などを担当。

その間、広島支局時代以来のテーマである核兵器の問題を取材し続け、1999年から2000年には、フルブライト・プログラム留学制度で米・メリーランド大学にリサーチ・フェローとして研修駐在。

「米国立公文書館等の資料を基に戦中、戦後の隠れた史実を発掘」したとして、2006年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。

2007年秋から1年間休職し、政策研究大学院大学(GRIPS)博士課程に進学。

2010年、「『核の傘』の構築をめぐる歴史的分析――同盟管理政策としての核密約」で博士号取得。

「核持ち込み密約は外務官僚が管理――歴代四次官が証言」など核密約に関する一連の報道で、2009年度平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)受賞。

現在は編集・論説委員。専門分野の知識を生かして記事を書くポスト。加えて現在大学の早稲田大客員教授も務めている。

太田昌克の家族は?

太田昌克さん家族(妻・子供)など調べてみたところ以下のような記事が見つかりました。

当時、彼は病気を患っていて、奥さんも寝たきりの難病で、自宅で介護を受けておられる状態でした。私もこのころ、妻が病気で家族で支え合っていました。だから村田さんの様子が痛いほど私の日常と重なり、彼の心中に思いをめぐらしました。
引用:https://synodos.jp/society/22081

上記は、

核と原子力とジャーナリズムの宿命 ―― スクープの舞台裏を語るでの記事で家族(妻)について語られている過去がみつかりました。
家族で支えあっていたということはひょっとしたらお子さんもいらっしゃるのかもしれませんが、現時点で太田昌克さん自身が公表した形跡はありません。

太田昌克の年収は?

 

平均年収.jpによりますと、

30代では、記者のキャップ、つまり一般の職業でチーフとか、主任クラスになれば800万円、若手の記者であれば住宅補助付きの年収700万円と、比較的若い人の給与水準は他業界よりは高いようです。
新卒5年目でこのくらいになるんだとか。

管理職クラスは、この倍といいますから、出版社での編集長クラスに当たる人は、最低でも1,200万円以上は年収で受け取ってるようです。

太田昌克さん現在は編集・論説委員。専門分野の知識を生かして記事を書くポスト。加えて現在大学の早稲田大客員教授も務めているということですが、「委員」とは、部長や局長等の管理職にならなくても記事の執筆能力で管理職と同等の処遇を受ける事が出来るポストのこと。

つまりは太田昌克さん現在は部長クラスの年収である1200万は優に超えているとおもわれます。

更に、早稲田大客員教授もされています。

一般の教授と違い客員であるため客員教授の採用基準や任期、処遇や給与に関しては、各大学機関、研究機関、教授会によって異なり、給与を支払う義務も特にないので実際のところ収入を得ているかはわかりません。

 

しかし、一般的な大学教授の年収について調べてみました。平均年収1千万程度、月収66万円客員となればこちらよりも少ないと思います。

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