大林宣彦さん、4月10日に亡くなられ世間の注目を集めているようです。映画作家、「CMでディレクターの巨匠」、更にはアイドル映画では「アイドル映画の第一人者」ととにかくその功績偉大であります。今回は大林宣彦の現在や家族である妻や娘について、家族も映画監督プロデューサーで有名人であるようなのでまとめました。
大林宣彦の現在!
4月10日、東京都世田谷区の自宅で亡くなった大林宣彦さんが。82歳でした。
大林宣彦さん、肺がんが発見されたのは、2016年の8月のことでした。その後もがんは進行し続け、ステージ4で余命3ヶ月と言われていました。
ステージ4まで進行しており医師より当初「余命6か月」、後に「余命3か月」の宣告を受けるたにもかかわらず、映画の編集活動と抗がん剤治療を続け、病状が改善し、2017年5月時点で「余命は未定」となるほどの回復を果たしました。
映画作家、「CMでディレクターの巨匠」、更にはアイドル映画では「アイドル映画の第一人者」と呼ばれ大林宣彦さんは常に新規開拓へ踏み込み、映像界では有名な方で名を残されました。
近年では長岡造形大学の客員教授をされ、自身が癌であることを生徒たちに「ガンも僕が死ぬと困るんですよ。一緒に生きていったほうがお互いにいいんです」などと発言し、病気でありながらもあまりにもポジティブな発言に生徒たちを圧倒させたようです。
更にはこちらの大学で、AKBの「So long !」、監督を勤めたことでも有名なようで、癌が発覚してからも精力的に活動をされていました。
大林宣彦さんの出身地尾道市を舞台に撮影した「尾道三部作」は代表作として世に知られています。
『転校生』『時をかける少女』、『さびしんぼう』
映画の熱狂的なファンでロケ地である、広島県の尾道市にロケ地巡りで20万人以上の若い観光客が訪れるほどの人気を誇った大林宣彦さんの有名な作品です。
大林宣彦の妻は大林恭子・映画プロデューサー
【プロフィール】
名前:大林 恭子(おおばやし きょうこ)
生年月日:1939年生まれ
年齢:81歳(2020年 現在)
職業:映画プロデューサ
家族:大林千茱萸(娘)
主な作品:花筐 HANAGATAMI 、海辺の映画館−キネマの玉手箱
出身学校:成城大学
特技:ピアノ
大林宣彦監督の妻である大林恭子さんもまた映画作りに人生を捧げた方で、夫婦揃って日本の映画界を背負ってきた偉人です。
大林宣彦さんが肺がんで余命宣告されてからも「家に居るよりは映画作りをした方が元気が出る」と言って大林宣彦さんを陰で支えながら映画を二人三脚で作成してきたのです。
大林宣彦監督と大林恭子さんの馴れ初めは2人が通っていた成城大学で大林恭子さんが講堂でピアノを弾いている姿に大林宣彦監督が一目惚れしたとのことです。
当時、大林恭子さんは大林宣彦監督の一つ下の学年(後輩)なので先輩からの猛烈なアピールに心奪われたのでしょうか?交際は19歳の頃から始り、計62年間も添い遂げて来た二人の仲は大きな絆で結ばれていたのでしょうね。
大林宣彦の娘の大林千茱萸
【プロフィール】
名前:大林千茱萸(おおばやし ちぐみ)
生年月日:1964年生まれ
年齢:56歳(2020年現在)
出身:東京都
血液型:AB型
職業:映画作家、ビデオカメラマン、料理家
家族:夫:森泉岳土(漫画家)1975年生まれ
Instagram:大林千茱萸さんのInstagram
Twitter:大林千茱萸さんのTwitter
長女の大林千茱萸さんは「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加し、映画関係のお仕事をする傍ら現在はホットサンド倶楽部の部長・映画監督・西洋食作法講師などで活躍をしています。
大林千茱萸さんはご結婚されて、夫は漫画家の森泉岳土(もりいずみ・たけひと)さん。
1975年生まれの方で、大林千茱萸さんと11歳も年下の方でであります。
幼少期の大林家の教育は独特だった様で、「自由には責任が伴う」と大林宣彦監督に教わっていたそうで小学校3年生を機に中学校までは学校にほとんど行かず映画漬けの日々を過ごしていたそうです。
その教えが今の自分の原点となり映画作りにも影響を与えているようです。
大林宣彦の現在!家族(妻や娘)は映画監督プロデューサーで有名人・さいごに
今回は「大林宣彦の現在!家族(妻や娘)は映画監督プロデューサーで有名人」についてまとめした。
大林宣彦さんは癌を宣告されるも、亡くなられる前まで、映画作りを続け、大学の客員教授をされるなど精力的に活動し続けてこられました。
そして、妻や娘も揃って、映画監督、映画プロデュサー、と映画の仕事で活躍されているクリエイター一族であり、ある意味華々しい一族と言えますね!
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。