斎藤工の幼少期とブレイク前動画や画像をテレビで紹介されていた苦労した下積み時代の内容を含め当時お世話になったTIM・レッド吉田の励ましや美輪明宏さんとの意外な関係について斎藤工さんについてまとめました。
斎藤工の幼少期とブレイク前動画や画像!
斎藤工さんは2001年に俳優デビューをしその後ブレイクまでの13年間は下積をされていたそうなのです。そんな苦労人でもある斎藤工さんの幼い頃の写真や下積時代の画像動画を見ていきます。
斎藤工さんは1981年8月22日東京都広尾病院にて誕生されました。斎藤工さんは当時広尾病院で史上最も大きな赤ちゃんで産まれたそうなのです!
幼少期は活発な子であり4歳くらいまでおねしょをしていたそうなのです。家族で麻雀をしたり餃子を一緒に作ったりまた父親が映画関係の仕事をしていたため週に3、4回ほど一緒に映画を観に行ったりと家族皆仲が良かったそうです。
物心ついた頃から映画が好きだった斎藤工さんは映画関係の仕事に就きたいと強く思うようになり、父親から先ずはモデルになってその後俳優になってその後映画関係の仕事に就くのが良いとアドバイスを受けました。
1996年15歳となった斎藤工さんは父のアドバイス通り、まずはモデルになろうとファッション誌の裏を見てかったぱしから事務所へ電話をかけ見事にモデルデビューを果たします。
そして2001年モデルを経て俳優デビューを果たします。
その後はなかなかブレイクすることはなく苦労も多かったようで想像していた俳優業とは程遠い内容の番組出演をされていました。2006年に出演されたラジかるッ「人妻温泉コーナー」での出演の様子がこちらになります↓
このラジかるッという番組の出演は斎藤工さんが当時1年間アシスタント担当しており「ロケに出てみないか?」と言われたのが出演のきっかけです。
こちらの番組内では今の斎藤工さんからは絶対見ることのできないちょんまげカツラ姿やオープニング姿などまさに秘蔵盛沢山です。
斎藤工さんは13年間の下積時代では、引っ越し業者、飲食店、携帯ショップ、洋服店、ライブの警備など様々なアルバイトしており、ハロー!プロジェクトの警備担当のリーダーを勤め松浦亜弥のライブでは最前列で警備をしていた過去があります。
映画が好きで映画の仕事に就きたくて入った芸能界でしたが苦労も多く当時ラジかるッでの仕事を一緒にしていたTIM・レッド吉田さんにはお世話になった過去を振り返り恩人として斎藤工さんはテレビ番組で紹介していました。
斎藤工さんが今でも心に残っているTIM・レッド吉田さんから「腐るなよ!腐らずに続ければ どうにかなる」との助言をテレビ番組で紹介していました。
斎藤工、美輪明宏と意外な関係告白
斎藤工さんが誕生日に中華料理屋で冷やし中華を食べていた最中に電話がかかってきたのです。全くしらない番号で出てみるとなんと電話口で美輪明宏さんが生歌でハッピーバースデーを歌ってくれたというのです。驚いた斎藤工さんはその場で起立したそうです。
さらに驚いたことに、美輪明宏と斎藤工は前世で近い関係だったことを伝え、「今まで観てきた映画はあなたの糧になっている!」と助言をするために電話してきたそうなのです。
斎藤工さんはもともと尊敬していた美輪明宏さんからの助言に心を打たれ今までの芸能活動は間違いなかったんだと確信を得たようなのです。
斎藤工さんまとめ
テレビ番組での内容では斎藤工さんは苦労人としてブレイクまで順風満帆では全くありませんでした。
13年間の下積み時代を得てブレイク。現在は多才で多芸であると言われ2018年デビュー当時からの夢である映画監督を勤め上げ、各国の映画賞8冠達成されました。
斎藤工さんは監督という顔、そして俳優という顔、趣味であるカメラの撮影も得意としているようで今後の活躍は想像を超えることと思われます。